第十八章 理解とは知を超えること

知るということと、理解するということの違いは、
知るということは、未だ来ぬ未来に想いを馳せることであり、
理解するということは、『今、ここ』で経験することにあった。
まさに、
知性を得た私たち人間の大人は、知る世界にいるわけです。
それでは、
『今、ここ』で経験している他の生きものや、人間の子供は、理解の世界にいることになります。
まさに、
他の生きものや、人間の子供のように、死を知らない一元論の世界で生きている方がいっそましであることになります。
果たしてそうなのでしょうか?
私たち人間の大人は知性を得た。
ところが、
他の生きものや、人間の子供は未だ知性を得ていません。
つまり、
彼らは無知の状態にいます。
では、
理解することと、無知の状態は同じなのでしょうか?
そうではありません。
理解するためには、先ず、知ることが必要なのです。
つまり、
無知(知らない状態)→知性(知る状態)という段階を経て、理解に至ることができるわけです。
従って、
理解するとは、無知と知性を超えてはじめて辿れることができる状態に他ならないのです。
無知→知性→理解
ところが、
無知の状態は『今、ここ』の状態です。
一方、
知性(知る)の状態は未だ来ぬ未来に想いを馳せる状態、つまり、過去・現在・未来の状態です。
他方、
理解の状態も『今、ここ』の状態です。
つまり、
無知→知性→理解=『今、ここ』→過去・現在・未来→『今、ここ』
結局のところ、
理解することによって、元の『今、ここ』に回帰するわけです。
言い換えれば、
始点→円周→終点という円回帰運動をするわけです。
ここではじめて、
一元論、二元論といった小難しい表現をなぜしてきたかの意図がだんだんわかっていただけると思います。
つまり、
無知(一元論の世界)→知性(二元論の世界)→理解(三元論の世界)
つまり、
理解するということは、無知と知性の両方を超えるということに他ならないわけです。
言い換えれば、
三元論の世界とは、一元論の世界と二元論の世界の両方を超えるということに他ならないわけです。
更に言い換えれば、
終点とは、始点からはじまって円周を経て辿る円回帰運動のゴールに他ならないわけです。
まさに、
死の理解をするとは、最終のゴールに至ることに他ならないのです。