第十六章 間違った二元論

他の生きものや人間の子供と、私たち人間の大人との決定的な違いを理解しなければならない第二の要件とは、
エデンの園、つまり、自然社会は一元論の世界であるのに対して、人間社会は二元論の世界であることを理解することに他ならない。
では、
一元論の世界と二元論の世界の違いとは何でしょうか?
死の理解の第一要件を思い出してください。
私たち人間の大人も、他の生きものや人間の子供も同じ生きものである。
つまり、
一元論の世界も二元論の世界も本質的には同じである。
本質的には同じものなのに、違いがある。
これは一体どういう意味でしょうか?
一枚の金のコインをたとえで説明していきましょう。
ここに一枚の金のコインがあります。
そこで、
金のコインの本質は、金(ゴールド)で構成されていることです。
ところが、
この一枚の金のコインの表面には銀のメッキがされています。
一方、
この一枚の金のコインの裏面には銅のメッキがされています。
そこで、
他の生きものや人間の子供は、一枚の金のコインの本質である金(ゴールド)のコインとしか捉えないのです。
まさに、
一元論の世界は本質の世界である所以なのです。
ところが、
私たち人間の大人だけが、一枚のコインの本質である金(ゴールド)のコインを忘れて、銀のメッキがされているコインの表面と銅のメッキがされているコインの裏面を区分けして捉えるのです。
まさに、
二元論の世界が区分けの世界である所以なのです。
更に酷いことには、
一枚のコインの本質である金(ゴールド)のコインを忘れて、
銀のメッキがされているコインの表面が好くて、
銅のメッキがされているコインの裏面が悪いと、
区分けするわけです。
挙句の果てに、
好いと思っている銀のメッキがされているコインの表面だけを求め、
悪いと思っている銅のメッキがされているコインの裏面を避ける、
という実現不可能なことを考えているのです。
そこでわたしは、
人間の大人だけが考えいるこういった実現不可能な二元論を、好いとこ取りの相対一元論と呼んでいます。
従って、
一元論の世界と二元論の世界は本質的には同じなのであって、捉え方の違いであるわけですが、私たち人間の大人はどこでどう間違ったのか、実現不可能な間違った二元論である好いとこ取りの相対一元論に陥ってしまったのです。
まさに、
私たち人間だけが、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる人生を送る羽目に陥った原因は、実現不可能な間違った二元論である好いとこ取りの相対一元論にあったのです。