第十章 地球と人間

死とは、自己の『想い』の死であって、自己の肉体(物質)の死ではなかった。
肉体の死とは、外観(形)の消滅に他ならず、外観(形)が消滅することによって『想い』も消滅するのです。
つまり、
肉体を構成している物質は、外観(形)を変えて永遠に実在しているわけです。
まさに、
私たち人間が死んでも、肉体を構成している物質は大地(地球)に戻るだけで、私たち人間としての外観(形)が消え、構成している物質、つまり、元素や分子化合物(鉱物)という外観(形)に変えるだけのことです。
そして、
それぞれ私たち人間としての外観(形)が消えることによって、それぞれ私たち人間の『想い』は消え、元素や分子化合物(鉱物)という外観(形)としての『想い』に変わるわけです。
では、
それぞれ私たち人間の『想い』は、元素や分子化合物(鉱物)という外観(形)としての『想い』に反映されているでしょうか?
若しも、反映されているとするなら、それぞれの元素や分子化合物(鉱物)の『想い』にイエス・キリストの『想い』や釈迦の『想い』やのたれ死にした一人のホームレスの『想い』の名札が付いていることになります。
そうしますと、
人類が人間に進化して以来、つまり、魂や霊魂を信じ込むようになって以来、死んだ人間の『想い』の名札がすべて、それぞれの元素や分子化合物(鉱物)の『想い』に付けられているというのでしょうか?
結局のところ、
私たち人間が、地球の一部(部品)と考えるのか、地球の上に住んでいるだけだと考えるのかによって、死に対する考え方は大きく変わるのだと思います。
わたしは自分を地球の一部だと考えていますが、みなさんはどうでしょうか?