第一章 生きとし生けるものはすべて死を知っているか?

私たち人間には後天知(人工知)というものがあり、その代表が死を知ることである。
では、
他の動物には後天知(人工知)がないのでしょうか?
そんなことはありません。
母親が子供に狩りをする方法を教えてやったり、危険を避ける術を躾てやったりするものは、やはり、後天知(人工知)でしょう。
それなら、他の動物も死を知っていることになる筈です。
危険を避けるということは、死を避けることに他ならないからです。
そうしますと、
私たち人間も、他の動物たちも、生まれた直後には死を知らないが、成長していくに従って死を知るに至るのでしょうか?
まさに、
死を知ることは、生きとし生ける者すべてにとって後天知(人工知)なのでしょうか?
残念ながら、他の動物たちにそのことを確かめる方法はない。
「死ぬって知っている?」
「死ぬって何?」
彼らと言葉を交わせることが仮にできても、多分こう訊き返されるでしょう。
彼らに確かめることができないのは、言葉の違いの問題ではなさそうです。
従って、
まるで、死んだことのない人間が、死んだことのある人間に、死んだ後の世界があるかどうかを確かめることができないのと同じだからではないでしょうか。
そこで、
若しも彼らが死ぬことを知っていたとするなら、彼らも未だ来ぬ未来に想いを馳せていることになります。
なぜなら、
死ぬことを知るとは、未だ来ぬ未来に想いを馳せていることに他ならないからです。
つまり、
死ぬことは『今、ここ』の出来事ですが、死ぬことを知るとは未だ来ぬ未来に想いを馳せていることに他なりません。
ところが、
彼らが未だ来ぬ未来に想いを馳せているとは思えません。
なぜなら、
狩りをして得た獲物を明日のために貯蓄しない彼らには、今日(今)の糧しか求めず、明日(先)の糧を考慮しない証です。
自然社会の生きものがみんな、明日(先)の糧を考慮しだしたら、自然社会の食物連鎖の法則が崩れて、結局はみんな絶滅することになるからです。
つまり、
自然社会では、未だ来ぬ未来に想いを馳せることはあり得ないわけです。
従って、
自然社会の生きものが、死を知ることはあり得ないわけです。
まさに、
人間は未だ来ぬ未来に想いを馳せることをしているが、他の生きものは未だ来ぬ未来に想いを馳せることはないのです。
まさに、
人間は死を知ることはあり得るのですが、他の生きものは死を知ることはあり得ないのです。