なぜ私たちは死を知ったのか?(死の理解)
はじめに

動物や植物は死を知っているでしょうか?
訊いてみても、彼らは返事してくれません。
赤ん坊は死を知っているでしょうか?
訊いてみても、赤ん坊は返事してくれません。
では、
子供は死を知っているでしょうか?
言葉ができる子供なら返事してくれるはずです。
「死ぬって知っている?」
「死ぬって何?」
訊き返されるでしょう。
ではそれ以上訊くことができるでしょうか。
「死ぬというのはね・・・・・・・・・・ほら、隣のポチ(犬)が動かなくなり、ワンと吼えなくなったでしょう・・・ポチは死んだからよ」
結局、訊くつもりが教えることになるのです。
そうやって、私たちは死を知ったのではないでしょうか。
教える者がいたから知ったのです。
自ら知ったわけではないのです。
ところが、動物や人間の赤ん坊はわざわざ教えなくても、母親のおっぱいを自ら吸いにいきます。
自ら知ったわけです。
これを本能知と言います。
従って、
死を知るということは本能知ではなく、後天知(人工知)ということになります。
死を知るということは、私たち人間だけが持っている人工知なのです。
では、なぜ、私たち人間だけが死を知るに至ったのでしょうか?
本書のテーマがここにあります。

平成22年11月11日   新 田  論


第一章 生きとし生けるものはすべて死を知っているか?
第二章 私たち人間も果たして死を知っているのか?
第三章 私たちが『今、ここ』を生きられない理由(わけ)
第四章 怖れる死 & 怖れないで済む死
第五章 映像上の死
第六章 “必ずいつか死ぬ”という知り方の謎
第七章 死を知ったのはいつ?
第八章 死とは自己の意識(魂)の死に他ならない
第九章 肉体の死=五感(外観)の消滅
第十章 地球と人間
第十一章 私たちも実は死を知らない
第十二章 中途半端な知性が元凶
第十三章 生きものの本質は死を知らない(1)
第十四章 生きものの本質は死を知らない(2)
第十五章 自然社会と人間社会の決定的な違い
第十六章 間違った二元論
第十七章 自覚症状のない音痴
第十八章 理解とは知を超えること
第十九章 知性とは必要悪
第二十章 死を超える
第二十一章 超える=二元論を超える
第二十二章 “如何に生きるか” & “如何に死ぬか”
第二十三章 死の恐怖を超える鍵
第二十四章 死ぬとは先延ばしせず生きること
第二十五章 先延ばしの人生は悪循環に陥る
第二十六章 人間社会は逆さま社会
第二十七章 正さま社会とは?
第二十八章 “如何に死ぬか”という問題と如何に正対するか?
第二十九章 本能とは知ることではなく在ること
第三十章 死は自分で決めるもの
第三十一章 万物の霊長たる所以
第三十二章 独りで生まれ、独りで生き、独りで死ぬ
第三十三章 死の意味するもの
第三十四章 自覚の人生 & 錯覚の人生
第三十五章 自他の区分け意識
第三十六章 全体感 & 部分観
第三十七章 全体感とは自分独りで生きているという実感
第三十八章 ボタンのかけ違い
第三十九章 覚醒の人生 & 眠りの人生
第四十章 人類 & 猿
第四十一章 33番目の節目
第四十二章 新人類 & 旧人類
第四十三章 新人類の考え方(新しいイデオロギー)
第四十四章 新しいイデオロギーの核
第四十五章 なぜ私たちは死を知ったのか(死の理解)
第四十六章 独りで生きている自覚
第四十七章 “如何に死ぬか”という問題と正対する
第四十八章 『今、ここ』を生きているのは自分独り
第四十九章 かけ違いの最初のボタン
第五十章 間違いだらけの人間
おわりに

死を知るということは本能知ではなく、後天知(人工知)であり、
死を知るということは、私たち人間だけが持っている人工知であると(はじめに)において述べ、その検証をしてきました。
では、
“なぜ私たちは死を知ったのか?”
その解答は、
“独りで生まれ、独りで生き、独りで死ぬことを自覚すること”
そして、
““如何に死ぬか”という問題と正対して生きてゆくこと”
そして、
“『今、ここ』を生きているのは自分独りだけであることを自覚すること”
を知るためだった。
そして、
死の理解とは?
その解答は、
“独りで生まれ、独りで生き、独りで死ぬことを自覚すること”
そして、
““如何に死ぬか”という問題と正対して生きてゆくこと”
そして、
“『今、ここ』を生きているのは自分独りだけであることを自覚すること”
を理解することだった。
まさに、
死=独り(Alone = All One)のことであり、全体に回帰することであり、位相の変化(相転移現象)に他ならなかったのです。
つまり、
死=位相の変化(相転移現象)
平たく言えば、
死(という言葉)などそもそもなかったのです。

平成22年12月31日   新 田  論